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2010/10/28

空白のアルバム

一度お伝えしたかった内容です。下手なうえ長文ですが僕を知っていただくにはやはりこれを読んでいただきたいと思いましたので書きました。


卒業写真。そこには中学生の明るい笑顔が満ち溢れている。ひとつの空白を除いて。

僕がそいつ(以下A)と初めて出会ったのは小学生の時。同じスイミングスクールに通っていたこともあり、仲が良かった。みんなから好かれるやつでいわゆる「いじられキャラ」。時には喧嘩もしたがすぐ仲直りし一緒に遊んだ。

中学生になり、あっという間に3年が過ぎようとしていた時、それは前触れもなくやってきた。その日もいつも通り授業が終わり、いつも通り家に帰ろうと自分の教室を出た僕はふと他の教室を覗いた。

Aが泣いている。

「なんで泣いてるの?大丈夫?」僕は思わず問いかけた。目が合った。今でも忘れられない、泣き腫らして真っ赤になった目で。もしかするとその目は何かを伝えようとしていたのかもしれない。しかし僕は返事も聞かずに教室を出た。教室には他にも数人いたため、彼らに任せればいいと思ったのだ。

それから数日後。Aは不登校になった。そして卒業までAはついに来なかった。

信じられなかった。いや、むしろ信じたくなかった。「不登校」。テレビや新聞ではよく耳にする言葉だがまさか自分の周りでも起きるとは思わなかった。それもあんなにも好かれていたAに。
噂を聞く限りでは、じゃれあいが事の発端ということだった。最初はふざけあいだったつもりが、日がたつにつれエスカレートし、最終的には毎日のように肩パン(肩を殴る行為)を受けていたという。その間本人も何もしなかったわけではない。きちんと意思表示をし、一度はそれについてクラスで確認しあったこともあったという。だが、肩パンは続いた。
Aにちょっかいをかけていた人の中に僕の友達も数人いた。彼らの口から出たのは予想だにしない言葉だった。
「Aが弱すぎる」
呆れてものが言えなかった。もちろん集団生活の中で自分を抑えて周りに合わせなければいけないときは少なからずある。しかし相手の気持ちも察しられないやつにそんなことを言う権利など無い。おそらく彼らにとっては遊びのつもりだったのだろう。悪気もなかったのかもしれない。ただ、どう開き直ってみたところで結果は変わらない。彼らは一人の人生を壊したのだ。

時々考える。もしあの時に話を聞いていればどうなったのだろう。もし、Aが不登校になったあと、Aに会いに行っていれば・・・。結局、口先で偉そうなことをいっても僕は何もしなかった。友達が目の前で困っているのにその前を通り過ぎた。いじめた側と何か違うところがあるのだろうか。別に自分が無力だったのではない。自分に嘘をつき、無力のふりをしたのだ。今、あの時の自分に会うことが出来たとしたら僕は本気で殴ってやりたい。そして取り戻したい。卒業写真を。
だからもう迷わない。自分に正直に生きること。それがあいつへの償い、僕がここにいる意味なのだから。

日吉祭

いよいよ、日吉祭の準備が本格的にはじまりました。

日吉祭は塾高に入ってしてみたかったことの一つでした。だから、とてもわくわくしています。

中学校とは比べ物にならないくらいクオリティーの高い文化祭にしたいですね。

話は変わりますが、最近、僕の地元の友達が帰宅部になりました。彼は陸上部なのですが、理由

は、周りの部員が強くて、練習についていけなくなったことだそうです。

その人は、僕の小さいころからの友達で、親友の一人と言えるような人です。そんな人だから、本当

に心配です。

でも、何と声を掛けてあげれば良いかわかりません。どうしてあげればよいでしょうか。